朝香酒蔵便り 2009年3月号
あさかさかぐらだより
天津中谷酒造有限公司
天津市東麗経済開発区二緯路
TEL.022-2499-1092 FAX.022-2499-3364
酒と茶
夜明けが徐々に早くなり、霞むような空から指す光も力を取り戻しつつあります。灰色の河北の冬も間もなく終了。酒蔵では、冬の時間を惜しむように酒造りが続いています。
日本には「酒は百薬の長」という言葉があります。適度な飲酒は健康に良いことを表したものです。茶も最初は薬として使用が始まり、今では酒と並ぶ嗜好品です。昨年、浙江省の初期稲作集落跡・田螺山遺跡で、五千五百~六千年前の地層から世界最古の茶畑とみられる遺構が見つかりました。今回は、茶の歴史を追ってみましょう。
中国南東部の雲南省、貴州省、四川省には野生の茶の大木が生えており、茶の原産地と推定されています。記録上は、三千年前に四川で栽培が行われており周の武王に献上されたこと、二千五百年前の春秋時代の斉に茶で煮込む料理があったこと、前漢(紀元前一世紀)に商品として流通していたことが確認できます。
神農は農業の神、そして薬草をみつけたことから医薬の神です。日本でも薬業界の信仰を集めています。「神農本草経」(後漢代に編纂)に神農が野草の毒を茶で解毒したことが書かれています。茶の利用は薬として始まり、薬膳として食されて来たのです。随の文帝(在位581~604年)は茶を薬として飲み快方に向かいました。これを契機に上流階級に喫茶が広まり接客の飲料として用いられるようになります。昨年公開された映画「赤壁」(RED CLIFF)に喫茶の場面がありましたが、時代は三世紀ですから考証に疑問が残ります。
随の後を継いだ唐の時代、喫茶の習慣は庶民に拡がり、茶税が徴収されるほどになりました。当時の茶は、摘み取った茶葉を蒸した後、保存と輸送のために団子状或いは煉瓦状に固めて乾かしたものでした。砕いて煮るか、粉に挽いて熱湯に入れて飲みました。粉に挽く飲み方は日本の抹茶に残りましたが、現代中国では廃れています。
宋は豊かな時代でした。固めた茶以外にも茶葉での流通が始まります。加工も多様になり、茶葉の種類も増えていきます。明代に茶葉のままの流通が主流になり現在に至ります。
茶はビタミン、タンニンなど体に良い成分を多く含む健康飲料です。最近では米国流の炭酸飲料に代わって日本でも中国でも消費が増えています。酒、とりわけ米を原料とする醸造酒である清酒も健康に良い成分を多く含んでいます。「酒は百薬の長」。何れも中国起源のものが我々の健康に役立っています。
この号終わり
(日本酒造組合中央会提供の資料を添付致しました。是非ご活用ください。)
朝香酒蔵便り 2009年3月号
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酒与茶
每天清晨太阳升起的时间越来越早了,人们在朝阳中吸取着力量,华北地
区冬季将要结束。酒厂珍惜短暂的低温时间持续着酿造作业。
日本流传着“清酒为百药之长”的描述,这是说适度饮酒有益健康。饮茶
最早也是作为“药”被开始饮用的,现在已同酒一样成为人们的日常饮用品,
去年在浙江省早稻遗迹——田螺遗迹,从5600年—6000年前的地层中发现了世
界最早的种植茶的遗迹,我们就来谈谈茶的历史吧。
中国东南部的云南省、贵州省有野生的巨大茶树,被指定为茶的原产地,
有记载表明:3000年前四川栽培茶叶,并朝贡给周武王;2500年前春秋时代齐
国有用茶叶作的料理;前汉(公元前1世纪)茶叶已开始流通了。
神农氏是农业之神,因发现草药被颂为医药之神,在日本的药业广为颂扬。
《神农本草纲目》(在后汉时编辑)记载:神农用茶解野草的毒素,即茶的利
用是从药开始,作为药膳沿用至今。
随文帝(在位581-604)以茶代药广为推崇,以此为契机上流社会以茶待客
被广泛使用了。去年公演的电影《赤壁》有饮茶的场面,时代是三世纪。
“随”之后是唐朝,此时的饮茶已传到百姓之中,也开始征收茶税,当时的
茶采摘后先蒸,然后为了储藏与运输加工成干燥的团状或砖状,饮用时捣碎后
用水煮或捣成粉末状放入热水中浸泡。后者饮用方法至今被日本沿用,但中国
很少见了。
宋朝是富裕的时代,在固形茶以外又出现了茶叶状的茶,加工方法也多样化
了。明时代的茶已基本形成,被沿用至今。
茶是维生素、丹宁丰富的健康饮料,特别是最近代替了美国风行的碳酸饮料,
在日本、中国销量增加。酒特别是以大米为原料的发酵酒富含对人身体健康有
益的成份,被颂为“百药之长” 。
酒与茶都是对健康都十分有作用。
终
作者:中谷正人 李恒岐译
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